2月 2010
アッシジのサン・フランチェスコ教会で案内をしてくださった谷村神父から興味深い話を伺った。日本人はまわりにいる人の顔や表情をみて、‘この人は風邪をひいて体調が悪そうだとか、あの人は顔色が悪いけど、きっと胃が悪いのね’とわかる。ところが、イタリア人でこういうことが分かるのは医者だけで、普通のひとは他人の体調のことはまったくわからないという。
この話を聞いてなるほどなと思った。イタリア人は人としゃべるのは大好きだが、その人の体調までは気をつけてみてないのである。人のことはどうでもよく、自分はこうなんだ、俺はこうしたいんだ!で終始する。これは自己中心のおしゃべり文化。
これに対し、日本人はしゃべるのは極力控えめにして、自分のまわりにいる人、関わりのある人をよく見よう観察しようとする。そして、その表情や身振りからその人が今何を考えているかをわかろうとつとめる。こういう習性により心も体調もわかる‘以心伝心’や‘あうんの呼吸’がコミュニケーションの基本になった。日本は伝統的に視る文化なのである。
” —ビバ!イタリア おしゃべり文化の国イタリア!: いづつやの文化記号 (via sandman-kk) (via jinon) (via 115) (via hayami) (via kml)つらいときがあったらどうするか?
それは簡単です。
事実と解釈を切り分けて考えること、まずはそれをするべきです。
頭の中でやってもなかなかうまくいかないので、紙とペンを用意して「これは事実」「これは解釈」と分けていきます。
すると、悩み事のかなり多くが「解釈」側のものだとわかると思います。
悩みごとが解決するわけではない
これをやったからといって悩み事が解決するわけではありません。しかし、何が「事実」で、何が「解釈」かをわかっているとかなり気持ちが楽になります。
たとえ「お前のことが嫌いだ」と言われたのであっても、「嫌いだと言われたこと」が事実であって「あの人は私のことが嫌いだ」は解釈にすぎません。本当に嫌いでいったのかもしれませんし、本当は好きなのに感情表現ができなかっただけかもしれません。
そう、解釈はどんなものでも作り上げてしまえます。いわば自分の頭の中で作っているにすぎません。そんなことに振り回されても状況はよくならないのです。
自分の解釈を肥大させて勝手に傷つくほどバカバカしいものはありません。まずつらいことがあったら、冷静に「事実」と「解釈」を切り分けてみてはいかがでしょうか。
” —つらいことがあったらまず「事実」と「解釈」を切り分けよう | nanapi[ナナピ] (via kmagami) (via pipco) (via 4hey4hey) (via takaakik) (via do-nothing) (via konishiroku) (via yaruo) (via yangoku) (via aokie) (via pipco) (via ranpie) (via pipco)この考え方というのはすごくキリスト教圏的な、まあイスラム教もそうですけど、日本で唯一それに対して挑戦しようとした作家というのが石原慎太郎なんですね。
慎太郎は自由意志というものを徹底的に追及しようとした作家だったんです。
最初はセックスから入っていったんですけど、この人の小説で最も問題があるのが「完全なる遊戯」という小説なんです。
チャラチャラ遊んでいる金持ちのお坊ちゃんたちが、つつましく暮らしている貧乏な知恵遅れの少女をみんなで輪姦して捨てて、どうなるか見てみようというふうに「遊ぶ」っていう話なんですね。まさに「完全なる遊戯」なんです。
ところがその子が本当にいい子で、どん底に堕ちて性風俗のどん底に堕ちても、けなげに働き続けているんです。けなげに正しく清く生き続けている。
それを見て主人公たちはものすごく傷つけられた気持ちになるんです。
それでその女の子を崖から突き落として殺してしまうんですよ。
これはいったい何なのか?
善意が怖かったんですね。
人間には善意なんていうものはないんだと、我々は本当に自由なんだ。徹底的に自由であって、何もそこには障害もなければ空隙もない。自分の心の中にも手錠も何もないんだということを信じたいんです、この主人公たちと石原慎太郎は。
でもそうじゃない証明みたいなもの、人間の心には神みたいな善意が宿っているんだと証明するような少女が出てくるんです。
どんなに踏みにじられても清く正しく生きようとする少女が。
それでもう我慢できなくなって殺してしまうんです。
これはいったいどういう話なのかというと、二つたぶんアンビバレントなことを、石原慎太郎は考えているんです。
つまり一つは、やっぱり人間というのは本質的には良いものを持っているという、逆らいたいんだけど逆らいきれないものがあるのかもしれない。
ただ、それに対して徹底的に逆らわなければ、つまり神に対して徹底的に逆らわなければ俺たちはただのペットになっちゃうよ。
倫理とか社会とか神とかそういったもののペットになっちゃうよ、奴隷になっちゃうよと。
だからそれがまちがっている、どんなに悪いとわかっていても、俺たちは逆らい続けなければいけないんだ。それが実存なんだという。人間が生きるということはそういうことなんだと。
非常に切実で、なおかつちょっと狂った、考え方ですね。
これが石原慎太郎の思想だったんです。
だからそういう人がそのまま政治家になったってことを、ほとんどの石原慎太郎支持者は知らないんですけども、本当にそういう人なんですよ。
だから非常に実存主義的な、ニーチェ的な哲学を追究してた人ですよね。
第72回 2009/01/22 up 「『ダークナイト』はなぜ素晴らしいか ジョーカーとミルトンの『失楽園』」
27分8秒〜